ぽたすーのつれづれ。

ぽたすーのつれづれ。

【入院中 ~病人か!~】

もともと乳がん患者さんのope後は楽 と言われるなか
さらに内視鏡だったこともあってか 
私は術後2日目に与えられたリハビリ項目をクリアしてしまい
Y野先生の言うとおり「翌日から病人扱いされなく」なった

1日1回、ドレーンバックに溜まった排液収集が唯一の病人らしさだった

大部屋の空きはなく個室で誰と交流することもなかった上に
年末年始は一時帰宅や外泊の患者さんも多く、まさに人通りも減っていた

先の約束ごとで Aちゃんは病院に連れて行かない としていたので 
(母や叔母の意向でお互いに途中でいらぬ寂しさを持たないように、と)
私はこれほど退屈な時間を過ごしたのは2005年秋の出産以降初めてでした

ところが私はどんどん病人になっていった

これからの事が急に不安になったのだった 
結果を聞いた10日後にはope
一気に事を片付けながら、なにか考えるヒマもなく突き進んでいた

《とってしまえば終了、ではなくこれからがスタート・・・》

ope説明の時のY野先生の言葉をやっと実感した

この先の治療方針については病理の結果をみて決めていくにしろ
どうしようもない恐怖と孤独が私から生気を奪っていった

はじめはおいしく食べていた病院食も半分も食べられず
顔の筋肉が落ち目がくぼんで夜は眠剤で眠りについて
日中はドレーンバックに溜まっていく排液をうらめしく眺めるだけの日が過ぎた
先生やNsが回診に来た時だけは元気なふりをして・・・

病気の事やこれからの事を聞きたかったけど
聞きたくない自分もいて聞けなかった

入院5日目の12月29日

先生に「どうですか」と聞かれたので
ビョーキになりそうです と答えた

その夜ドレーンバック付きで外出許可が出た

それでも嬉しくならなかった
Aちゃんは私の留守中なにひとつグズることなく過ごせているそうだ
夜もばぁば(母)と一緒に寝ているらしい

そこに変に私との再会をしてペースが乱れるとやっぱりツライ

でも気さくに育児の話をしてくれるNsさんに
「帰ってダッコしておいでよーーー」の言葉に外出を決めた

入院6日目の12月30日

ドレーンバックをぶら下げて歩いて家まで帰った

家には母と叔母がいて「ひッどい顔!(笑)」と言われた

病名報告したときから意外だったこの2人=オババ連合

私がBCだと知ってきっとすごく動揺するに違いない
フラフラになるかもしれない 
そんな姿を見るのは悲しいから私がシッカリしないと・・・

という予想をすっ飛ばし、常にあっけらかーーん としていた

Aちゃんのお世話に関しても段取りよく考えてくれたり
なんの心配もない 大丈夫大丈夫!
と とても心強かった

座ってゲッソリしている無気力な私に

無理にがんばる必要はないけど
入院中の今は我慢も必要
泣きたければ大いに泣いて
これからのことはこれからその度に考えていくしかない
前向いていく他やることはない
まずは今退院のために元気になること

頭ではわかっていた

けど私は自分の病気のことでは1度も涙を出せないでいた


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